とうとう観てきた、「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」(以下、シンエヴァと表記)
いろいろ思うところはあるけど、それをギュッと凝縮して、最初の感想を書いておこうと思います。
一言で言うと、
「観てよかった!」
です笑
気になっているけどまだ観ていない方は、ぜひ映画館に行って、ご覧になってください。
これから先、ネタバレを含むので、これから映画を観ようと思っている方はご注意ください。
【感想その①】「本当に完結した」
クレジットロールの最後にスクリーン右下に表示された「終劇」の文字。
それを目にして「本当に完結した!」と感じた。
1995年のテレビアニメ版は、深夜枠だったのもあり本放送時にはところどころしか観れなかったと思う。
(調べたところ深夜に放送されたのは再放送だったらしい)
次々と謎が提示される展開はアメリカのドラマ「ツインピークスみたいだな」と感じたのを覚えている。
それから26年。
今までエヴァを観てきた以上、完結まで見届けねばならぬ。
そういう思いで映画館に向かった人は少なくないはず。
しかし、エヴァの場合、そこにワクワクというより不安がつきまとう。
そう。
テレビ版最終2話。
エヴァファンは2度も、なんとも言えない気持ちを味わってきた。
特に、私には「まごころを、君に」がトラウマになっている。量産型エヴァが、ダメだ(T . T)
庵野監督がなぜあんな作品を作ったか、機会があれば問いただしたい笑
今回も、また庵野監督にしてやられるんじゃないか。そんな不安な思いがあった。
しかし、冒頭にあったとおり、シンエヴァはちゃんと完結しました。
それも、新劇場版だけではなく、テレビ版、旧劇場版も含む、文字通り「さようなら、すべてのエヴァンゲリオン」というキャッチコピー通りの終わり方でした。
シンエヴァのストーリーですが、現在の世界を反映した内容にアップデートされていました。特に震災を経験した私たちの心情に訴えるものになっていたと思います。
その点では、新しい要素が加わったとも言える。
しかしながら、描こうとしている根っこのテーマ、つまり人類救済という名目の人類補完計画と、シンジが世界と対峙しようとする内面の動きとがシンクロしていくところは、エヴァらしさそのままでした。
最終的には、自分の殻に閉じこもっていたシンジが、周囲の人たちと向き合い、自分を受け入れて、自分にとっての新しい世界を切り拓いていく。
このテーマ自体は、旧劇場版も新劇場版も共通するものと言えるでしょう。
それを象徴するのが、旧劇場版にもシンエヴァにも登場する実写+アニメのシーン。
旧劇場版では、「アニメの否定」にしか見えなかった実写シーンですが、今回は実写とアニメが融合されていく。
アニメを取り巻く環境が変化したことに対して、庵野監督が表現を変えたのかもしれません。
26年前は、特にエヴァのようなアニメはオタクが観るものであって、一般人には理解し難いものだった。
それが、現在では一般人にもアニメ映画が普通に観られるような環境になっている。
うがった見方をすると、エヴァもそのような一般客にも受け入れやすい内容にリニューアルされたとも思える。
庵野監督も大人になった?
【感想その③】父親ゲンドウの物語
これは、新劇場版2作目の「破」を観たときに感じたことなんですが、新劇場版4作は、実は碇ゲンドウの物語になるんじゃないか、と。
4作目のシンエヴァを観終わって、果たしてそうなったな、と感じました。
碇ゲンドウは、エヴァ実験中に失った妻ユイを忘れられずにいる。
周囲の人たちとも溶け込めず、自分の殻に閉じこもっていたゲンドウは、冬月先生という協力者を得て、ユイと再び会うという個人的な目的のために人類補完計画を利用しようとする(そう考えると、冬月って人もたいがいな人だ)。
最終的にゲンドウは、息子であるシンジの成長を実感し、ユイがどこにいるかを知り、シンジに未来を託す。
「息子の成長物語と思いきや、裏では悲劇的な父親の物語を描く」
これってどこかで観たことがありますよね?
そう「STAR WARS」です。
パクリではないと思います。
古今東西、多くの物語が「父親を超えていく息子」というテーマで描かれてきました。
「難解なストーリー」と思われがちなエヴァですが、メインとなるテーマは王道ストーリーだったんですね。
そして、古い考え、先入観、自己愛に囚われていると、ゲンドウのようになってしまう。
庵野監督からのメッセージかもしれません。
【感想その④】大切な人の死を受け入れることの難しさ
これは、私の想像ですが、シンエヴァの完成に時間がかかったのは、このテーマをどう描くか、庵野監督の中で葛藤があったからではないかと思います。
シンエヴァの完成前に「シン・ゴジラ」の製作が発表されたときには、「庵野監督、まだエヴァを待たせるの?勘弁してよ」と思ったが、シンエヴァを観たあとなら、庵野監督がシン・ゴジラを撮った意味がわかる。
シン・ゴジラも、震災以降の私たちの心情に訴える映画でした。
ただし、シン・ゴジラがフォーカスしていたのは、日本の政治や社会の動き、そして、自然災害の象徴としてのゴジラであり、ゴジラ(災害)によって大切な人を亡くした人々の心のうちには踏み込んでいなかった。
シンエヴァで、大切な人を失った人たちを描くには、その準備として、庵野監督にはシン・ゴジラを撮っておく必要があったんだと思います。
シンエヴァで私が感動したのは、大切な人を失った人たちの、それぞれの心情を描いていたことでした。
ミサトさんは加持さんを失い、北上ミドリや鈴原ヒカリは家族を失い、それぞれの思いを抱いている。
シンエヴァでは、その思いがシンジに向けられている(そう考えると、シンジが自分の殻に閉じこもるのも無理はない)。
最終的には、綾波レイとそっくりさん(綾波シリーズ)を失ったシンジ、そして妻ユイを失ったゲンドウの心情がフォーカスされる。
誰もが、いつかは自分の大切な人との別れを経験する。
それを乗り越えられる人もいるし、乗り越えるのに時間がかかる人もいるし、乗り越えられないまままの人もいる。
この、人間としての普遍的なテーマに、庵野さんらしく真摯に取り組んだのがシンエヴァかなと思います。
だから完成に時間がかかったんでしょう(そう思いたい!笑)。
エヴァのことですから、様々な賛否両論や考察があると思いますが、とにかく、この映画を作ってくれた庵野監督、スタッフのみなさん、お疲れ様でした!と言いたいです。
シンエヴァ、観てよかったです。
今は混沌とした現実社会ですが、希望を感じることができました。
感想第一弾として短く書くつもりが、結構長くなってしまいました💦
ついつい語りたくなるのがエヴァですね。
仕事が忙しいけど、また観に行きたいな!